2015年1月15日木曜日

シャーリー・エブド襲撃事件について1 新号の発行

2015年もあけたばかりの1月7日(水)、
夫のステファンから携帯にメール。
「パリでテロがあったって、TV見てみて。」と。


何が起こったの?背景は?フランスの反応は?政治家の反応は?と
残念なことではあるけれど、こんな事件が起こった国にたまたま住んでいるのだから
まとめて何か書かなくてはと思っていたのですが、
「ちゃんと理解できてから・・・」と思ううちに、
ちゃんと理解はできないまま一週間たってしまいました。
書く内容をちょっと想像しただけでかなりの量になったので、
とりあえず「1」と番号を付けて書いてみます。

起こったのは「シャーリーエブド(Charlie Hebdo)」という
風刺画、風刺記事がウリの、週イチ発行紙の新聞社での襲撃事件。
犯人2人は翌日、パリ近郊の企業に立てこもった所で殺害されていったん終了。
関連して、交通事故を処理中の警察官への襲撃と
ユダヤ系食品店の人質立てこもり事件が起こりました。
一連の事件で、新聞社のジャーナリスト・挿絵家、警察官、人質になった一般人と
合わせて17名の犠牲者が出ています。

性質は違うし、比べることはできないものだけど、あえて言うと、
日本の人には、2011年の大地震の時の記憶をたどってもらうと、
今のフランスに一番近い雰囲気が伝わるかもしれません。

ニュースチャンネルでは一日中現場からの中継をしており、
他のチャンネルは番組タイトルやチャンネル名に黒いリボンをかけています。
数日たって事件を俯瞰できるようになってからは
政治家や各専門家、文化人などを呼んでの討論や検証が
放送されるようになってきました。

事件から1週間の間、フランスは、テロを受けたこととか
イスラム過激派の攻撃だったことはいったんさておき、
この国の根幹である「自由」を侵害されたことに
とにかくショックを受けていた印象。

事件のあった日のその夜から、パリの大きな広場には
犠牲者の追悼をするとともに、
「表現の自由」を守ろうと多くの人が集まりました。
続いて、この週末は各地で同じ趣旨の行進がオフィシャルに行われています。

ここへきて本音を述べると、
私はやっぱりあくまでフランスにいる外国人なんだなと感じています。

新聞社の攻撃を知って、「表現の自由が侵される!」と思うよりまず
「これから数日何があるか分からないから人が多いところは避けよう」でしたし、
自分自身や自分の価値観が攻撃されたという感覚はありません。
風刺がウリのCharlie Hebdoの過去の挿絵を見てみても、
「これは・・・・さすがにマズイんじゃΣ(゚◇゚;) 」ってのも数多く。
彼らの言う「ユーモア」が共有しきれていないのを感じている所。

実際、このシャーリーエブドの通常の発行数は6万部だったそう。
だから、フランス人全体がこの新聞を日ごろから大事にしていたというわけじゃないものの、
「こうやって自由に批判しまくってる新聞社が存在する」
ということに、自由な社会の象徴を見出していた人が多かったという事でしょう。



長くなりましたが、今日やっと記事にしようかなと思ったのは、
毎週水曜発行のシャーリーエブドが、
テロ後初めての水曜の今日、これまでと変わらずに新聞を発行し、
その表紙の絵に個人的にとても感銘を受けたから。

ちなみに、テロ攻撃を受けたのは、
いつもの表紙の絵が不要に挑発的だからとされています。

例えば、こんなのとか


2012年発行の1064号

げ・・・下品・・・そして冒涜と言われても仕方ないのでは?と個人的には思える・・・。
こちらはキリスト教の三位一体説を引用した風刺画です。
当時のヨーロッパの時事ネタ的にまぁ面白いのでまた機会があったら
この絵についても書きたいと思いますが、
要するに、一事が万事、この調子だったわけです。
(とはいえ、全部がこういうのだったわけじゃなく、この絵は結構ひどい方だと思う)

それで、各宗教界から警告を受けていたようですが、
本人たちは意に介さず継続。
2011年にはムハンマドを引用した風刺画が原因で
オフィスが放火されています。

・・・という社風なので、テロを受けた今回、
どんな絵を出してくるのか?
フランスの人たちは気になりながらこの水曜日を迎えました。

良くテレビなどでも使われるように
こんなのとか?




それか、こんなのとか?



こちらは最近のLiberation(リベラシオンという新聞)から。
銃を突きつけられて口をテープで留められても、
「表現の自由」を書いた鉛筆を高く上げています。




こちらもLiberationから。
お母さんが子どもに
「絵をかくのはやめなさい!!危ないから!!」と言っています。





そして挿絵が明らかにされたのは火曜日の午後。
こちらです。



ムハンマドが、今回の件に関するデモで人々が持っていたように
「Je suis Charlie=私はシャーリー」のプラカードを持って、
涙を流しています。

Je suis Charlieは「自分もシャーリーと同様表現の自由をもつ一市民である」
というニュアンスを表現しつつ、
シャーリーエブドへの共感を表現するために今良く使われているフレーズです。

ムハンマドの涙が、今回の件を悲しんで、
宗教は本来争いじゃないと伝えているように見えると同時に、
彼に「Je suis Charlie」のカードを持たせるなど、
フランスのメディアとして、これからも継続するというメッセージも垣間見えます。

上に書かれている「Tout est pardonné」は
「全ては赦される」という意味のフランス語。
テロの直後の発行にて、シャーリーエブドはテロへの回答として
「許す!!」と出したわけです。

今回の件で私が感じ、この表紙を見て改めて思ったのは
「負の連鎖は止められる」ということ。
テロを受けたフランス人の反応は、暴動や移民への差別激化ではなく、
フランスの価値観の再確認を求めたデモ。しかもとても静かに行われました。
そして攻撃された新聞社の新しい表紙は「全ては赦される」。

中東とかアフリカで(目に見えないだけで世界中どこでも)争いが絶えず、
原因を探ってみるともう昔から続く恨みの連鎖だったりして
どこから手を付けていいのか見当もつかないことがたくさん起こっていますが、
今回のフランスでの出来事は、報復で解決するのではなく、
これまでの権利や価値観を持ち直すことで、
社会を作り直す、一つのモデルを示しているのではないかなと想えます。


昨日の夜、BFMというニュース番組にZineb Rhazouiという
シャーリーエブドのジャーナリストが招かれていました。
彼女は銃撃を受けた編集者会議には出席していなかったものの、
この新聞社で働いていて今回の新刊発行にももちろん参加しています。

いわく、
「今回テロを受けて、同僚が多く死亡し、
自分の気持ちの整理もつかないままだけど、
2人の殺人者(犯人)のことはどうでも良いんです。
憎んでないし、コーヒーでも飲みながら話し合えたらと思ってます。
受け入れる(赦す、許す)必要があるんです」と。

それから
「もしテロ事件が起こらなかったらまたオランド大統領か、
別のどこかの宗教の批判を掲載して発行したでしょうが、
今回はやっぱりこの件に触れました。
300万部発行予定。つまり300万の家庭がこの絵を持ち帰るのです。
テロリストが勝利を得ることは絶対ありません」と。

ちなみに彼女自身はイスラム系の出身。
16年間イスラム系の学校に通った後、モロッコ(イスラムの国)で勉強を続けて
政教分離のあり方を突き詰めていくうちにシャーリーエブドで働くようになったそう。


この絵を描いたのはリュズ(Luz)というシャーリーエブドの漫画家。
彼のインタビューによると最初からムハンマドを描こうとしたわけではなかったそう。
水曜の銃撃戦の現場を書いてみたり、
ジハーディスト(聖戦主義者)を書いてみたり。
描くのは無理なんじゃないかと思えた時間もあったとか。

「最後に、おなじみの登場人物を書いてみた。
“Je suis Charlie”の札を持たせてみた。
これが最後の精一杯のひと絞りだった。
そうしたら、ちょっと笑えてきた。
こうやって、スタートできたのです。」
と。


イスラム教批判で攻撃を受けているとされるシャーリーエブドですが、
今回亡くなった漫画家カビュの生前インタビューを聞いてみると、
批判しているのは「イスラム教」ではないとのこと。
昨今に見られる過激派、ジハーディスト、
イスラム教の中で何でもアリになりつつある実態を批判していると。

加えて、今回犯人がイスラム側だったから、そこに焦点が当たっていますが、
シャーリーエブド自体はキリスト教、ユダヤ教、時の政治家、俳優、
時には外国の大統領までデッサンの対象になっていて、(そして日本も)
賛成、反対はもちろんあるものの、
反対だからと言って殺人が起こったことは当然ですがこれまで一度もなく、
今後も起こってはならないのは明白。

彼らがこれまで何をどう批判してきたのか?その反応は?
フランス人が立ち上がった背景やこの国の歴史は?
今の移民のシチュエーションは?
と色々一緒に伝えないと「テロ!!」だけになってしまい
起こっている事のニュアンスが伝わりにくい気がするので、
また別の機会に書いてみたいと思います。

さっき載せたLiberationの風刺画のように
絵を描いたり、新聞を発行するのに身の危険を感じるような時代が来ませんように。


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