2015年11月29日日曜日

クリスマスには早いけど・・・バカンス

2月から始めた仕事。
今週は初めてのバカンスでした。
日本で働いてた時は1週間通しで休みを取ることなんて数年に一度だったのに、こっちでは年間5週間のバカンスです。
フランスは良い所ばかりじゃないけど、年間5週間のバカンスがあって、みんなちゃんと休みを取得するってのは文句なしの美点・・・!!

久々の休み。でもどこかへ出かける予定はなかったので、夫は仕事。
完全に自分だけの自由な時間ってのがたまにはうれしいですねぇ。

何しよっかなー?
というわけで、午前中は語学学校。

「まあ復習のために・・・」とか思って始めたのですが、行ってみたらまだまだ穴だらけだったことが分かり、忘れかけていた危機感が帰ってきた感じです。
おごりがちな性格なので、時々痛い目に合った方がいいんです。
ちょうどいい機会だったわ・・・
と自分を慰めたり。

午後は久しぶりに友達に合って、ごはんを食べたり。
お互い色々あったりはするけど、みんな基本前向きで元気で、やっぱ時々顔を合わせられるのはうれしいです。

そして久しぶりにショッピングとか♪
10月は思いがけず仕事がすごく忙しかったのですが、
頑張ってた何名かのスタッフににボーナスが出ました。
ありがたいことに私も。
外国人として仕事をしているわけですが、努力しているのを見ていて認めもらえる環境ってのはありがたいです。
職場にはほんっとうに恵まれたと思います。

フランスは社会的に難しい時期で、日々考えることが絶えないけど、
バカンスのおかげで気持ち的に、体的に、ちょっと休憩。
また冬に向けて頑張れそうです。

2015年11月11日水曜日

11月11日 1918年第一次世界大戦休戦記念日

11月1日に続いて、11日の今日もフランスは祝日。
1日は日曜日だったので、仕事のお休みにはならなかったけど
水曜日の今日はお休みです。
フランスって、祝日が土日に被っても振替休日とかにはならないみたいね。

フランスの祝日、11月1日のToussaint(トゥッサン)とか、4月のLundi de Pâques(ランディ ドゥ パック)みたいに祝日に名前がついていることもあれば、今回の11月11日は 11 novembreとまんま11月11日と称されていたり。5月の労働者の日も1er meiということで単純に「5月1日」。
となると、その日が何の日か、わからない私のような外国人・・・
というか、うちの夫に何の日か聞いても「さぁ・・・」って言っていたので、わからない人は分からないみたい。
日本だと元旦、建国記念の日、こどもの日、海の日、ってちゃんと名称がついてますもんね。

フランスはキリスト教関連の、昔から続いてる記念日系は固有の名称が着いてて、終戦記念日とか革命記念日とか、宗教関係じゃない比較的新しい記念日はそのまま日付を付けてるのかなという印象です。

というわけで、今日の祝日が何なのか調べてみたら、1918年にフランスとドイツの間で合意された休戦を記念したものとのこと。

ウィキペディアによると Armistice de 1918


・・・と何の日か分かったのは良いのですが、日本語だったら子供でも知っている「休戦」の言葉。
フランス語でarmisticeと言われると、調べるまでやっぱりわからないのよね。

まだまだやるべきことはあるわぁと祝日ネタから飛んで感じた2015年の終わり。

2016年はちょっとスピードアップしなきゃなと思案中・・・


今年もあと50日ですって!早いものです

2015年9月13日日曜日

第17回 Forum du Sport 開催

新学期は9月スタートなフランスです。

新学期といえば新しいことをスタートする季節。
というわけで、先週の土曜日、町の広場でスポーツサークルのフォーラムが開かれていました。
カーニュシュルメール市内で活動しているスポーツサークルがそれぞれスタンドを出して
新しく参加したい人を勧誘するイベント。

土曜日朝は私は仕事。
仕事帰りにこの広場の隣にあるマルシェで夫と合流して買い物をするのが恒例なのですが、
この日は人出が多く、道も駐車場も混んでいて、マルシェでも花やら野菜やらの売り切れが続出。
一週間分の食材をほぼここで調達しているのでちょっと焦った我が家です。





広場の中心ではちびっこのパレードとかダンスサークルの発表が行われていました。








サークルは、テニス、サッカー、水泳などのメジャーどころからスキー、登山、釣りなど
この辺の環境を堪能できる感じのものまで結構豊富です。

そうそう、柔道サークルが3つくらいあったのが印象的。合気道もありました。


運動不足な夫はバドミントンに興味津々。
2人で参加できるなら間違いなく参加したと思うのですが、
やっているのが月曜夜と土曜の昼間ということで、
平日夜にスポーツするのは私は無理!!
せっかくだから一人でも参加しなよ、って言ってるのですが
なんかそれは微妙みたいで、検討中って言っていました。




2015年9月8日火曜日

思わず二度見

たまたま寄ったニースのインテリア家具屋さんで
日本の面白いキッチングッズフェア(?)をやってました。



フェアって、棚の一つのをそれ用に割いていただけだけど・・・

最初はいろいろあったのかな?と思うけど、残っていたのは
お魚の形をしたザル・まな板専用ブラシと
手のひらサイズの氷の器が作れる製氷機のみ。

早く知ってたらちょっと見に来たかったわ~!

フェアは大成功で、来年も開催(?)されることを願います。

2015年7月5日日曜日

漁師の神様の祭り Fête de la Saint-Pierre et de la mer

フランスはこの間の金曜日(7月4日)が学校の年度終了で、
そこからバカンスへ突入!

ニュース番組では、週末の渋滞情報が流れるようになってきました。

というわけで、「パリにパリジャンが居ない!?」シーズンのスタート。
そして私の住むコートダジュールにはフランス全土から人がぞくぞくと集まります。

私の住むカーニュシュルメールは、
ニースのように世界中から観光客が集まる感じではなく、
そしてアンチーブなどのようにイギリス人バカンス客のメッカな感じでもなく、
普通のフランス人ファミリーがバカンスを過ごしにやってくるような場所です。

そんな背景もあって、夏の間は人でにぎわうとはいえ、
のんびりしたファミリーファミリーな雰囲気。
それが私は大好きです。


市の方もバカンス客を迎えるにあたって準備は万端。
6月下旬からはビーチ沿いと周辺の駅、市の中心部を結ぶ無料バスが
出るようになってきました。



そして中でも見逃せないのが、2週間に一度、週末に開催されるお祭り。
今年は夏のスタートを祝う祭り、音楽祭、旧市街イルミネーション祭り、などが企画されてます。


この週末は、漁師の神様の祭り Fête de la Saint-Pierre et de la mer!

お祭りのポスター


このポスター、かわいくって好きですが、
結構すごいんですよ。

クラゲとか




タツノオトシゴとか




が、ちゃんと網羅されている(笑)


その他、花火ありの、漁師の神様を海の上で燃やすシーンありの、で、
実際のお祭りのエッセンスをすべて盛り込んだよくばりポスターなのです。


って、祭りの話じゃなくポスターの話になってしまった。



このお祭り、日本の、時に厳かで、時に華やか、和の魂を感じる・・・そしてどこかなつかしい
なんて、しんみり来るような感じのものでは全然ないんですけどね。
それともフランス人はこのお祭りで郷愁のようなものを感じるのだろうか??

日本でいう「夏祭り」と比べると、どうしても即席感が否めないうちの地元のお祭りシリーズ。

ですが!
地元の人もバカンス客も、こぞって出かけ、
海沿いで夕食をとったり、自宅での夕食の後バーで一杯飲んだり、
夜のビーチで人を眺めながらごろごろしたり。
と、みんなが素で自由に夏の夜を楽しんでる感じがとってもいいんです。


去年に続き今年もバカンスに出かけない私たち。
ちょっと残念、なのは確かだけど、
仕事をしていても、夕方、海を見ながら帰宅し、
テラスで夕ご飯を食べ、
週末はビーチに行って泳ぎつつ、バカンス客を眺めていると、
ついバカンス気分。
なんだかんだで満足しちゃっている我々。
(安くついていいわ。)

夏祭りシリーズは始まったばかり。
引き続き楽しんで参ります。

2015年5月19日火曜日

【ふらんぽん】フランス各地から日本女子が本音で語るウェブコミュニティ

フランスの、日本の、世界の女子の皆様に朗報です!!!

今日、フランス各地から日本女子が本音で語るウェブコミュニティ、
ふらんぽん
が誕生しました!!



「フランス移住」といえば聞こえはいいけど、
立ちはだかる言葉の壁、意味の分からない行政手続きに
打ちのめされる(こともある)外国暮らし。

その上ちょっと辺鄙なところに住んじゃったものだから
リアルな友達と会える機会も、日本にいるころと比べて格段に減り、
仕事を探すにも一苦労。

そんな時、心を癒していたのは顔は知らずとも同じような環境で
ガチに頑張る日本人の皆様のブログ。

時に、空振りに終わってしまった採用面接をマジなところで語ったり、
時に、なかなか日本食材が手に入らない環境でたまごかけごはんにうつつを抜かす様子をつづったり、
時に、ふとフランス人女子を見て、女のあり方について考え込んでしまった心境を明かしたり・・・

と、皆さんの「ガチ」なところに癒され、勇気をもらっていたものです。


そんな時、私の癒しナンバーワンだったブロガーさんからの提案で生まれたのがこの「ふらんぽん」

呼びかけに応じて、孤独さや壁にぶつかり、癒しを求めてネットをさまよう
日本人女子を応援するためのコミュニティを作りたい!という仲間が集まり、
本日、オープンすることになりました。



まずは、フランス各地に住む日本人ライターの日々をつづった記事を定期的にお届け。
少しずつ、コミュニティメンバー同士が繋がれるような仕組みを作ったり、
テーマごとにイベントを行ったりと充実させていく予定です。

他にはないポイントといえば、ほとんどのライターがフランスの地方在住なこと!
パリの情報を中心に扱うサイトや情報誌が多い中、
郊外、はたまた田舎の生活事情を公開しちゃいます。
とことん、リアル、そして本音で。
私は、いちライターとして参加しています。

色々あるけどできれば前向きに楽しくやっていきたいという在仏女子の方、
在仏じゃないけど、将来フランスと関わってみたい、フランスのリアルな生活事情を知りたい女子の方、
一緒に盛り上げていきましょう!お待ちしています。

2015年4月19日日曜日

ビオワイン

会社帰りにガーデニングショップに寄った夫からお土産です。

ビオ、つまりオーガニックのコーナーがあって、
ワインを試してみたくなったとのこと。


最近は20時過ぎまで明るいので、
テラスでアペリティフ。

Domaine de Cascavel / Caravinserail

アヴィニョンで作られている赤ワイン。
濃い、ざらっとした感じと、強い味!

「おぉ、重っ!!」

という全然舌が肥えてないのがバレバレな第一感想(笑)
でもこのがっつりした濃さが田舎のざっくりした風景を想わせて、
とっても飲み心地の良いワインでした。

きっと繊細なお料理には向かない。
私たちはウチ定番のバーベキューに合わせて大満足。
他にはソーセージ系の料理とか、ウズラとかにも合いそうだねと話しました。

それにしてもずいぶん力強いワイン・・・と思っていたら
アルコール分14.5%ということで。
普通は大体12%くらいだから、確かにガツンと来ました。


ビオワインはおいしくない、といわれることがありますが、
それはどうやら普通のワイン造りに欠かせない防腐剤を使っていないから、らしい。
一般のフランス人的にはこの防腐剤は
「そこそこの味を保証するための必要悪」くらいに認識されていて、
それを使ってないワインは「体には良いかもしれないけど、どうしても味が劣るのよね」
という感じみたい。

の一方で、
去年見つけたとあるワイン。
生産者さんの所で直接話を聞いて買ってきたのですが、
もともと殺虫剤とか防腐剤とか使ってなくて、言ってみれば「ビオワイン」と同様なわけだけど、
「ビオ」の認証マークを得るにあたっての項目が細かすぎて
合わせられない点があるからまだ認証は受けていない。
とのこと。
「まあいずれは認証を得る形にしたいんだけどね」と言っていました。
実際、本当に本当に有名なワインなんかは認証を受けていないだけで
生産方法はほとんどビオといってもいいくらいの所が多いんだとか。


こちらがオーガニック商品として認定されているものに付けることができるマーク。


というわけで、ビオは個人的には気になるキーワードだし、
でもビオにとらわれる必要なくて、
ビオ認証がなくても、体にも環境にも優しい商品はいっぱいあるんだろうなと
改めて思わせてくれたワインでした。



2015年4月5日日曜日

フランスの運転免許を入手する

態勢が整い次第早いところやりたいと思っていたフランスの運転免許入手。
先週めでたく免許が手元に届きましたー!!
フランスでイチから免許を取ったのではなく、日本の免許をフランス免許に切り替えた形です。

ふう、これで、一安心。
というのも、この免許切り替え、申請ができるのが滞在開始から一年以内に限られているから。

日本から書類を取り寄せたり翻訳したりするのにそもそも時間がかかる上に
役所がどのくらいスムーズに動いてくれるのかが未知で、
申請期限があるのを知らず一年をすぎちゃったと言う人の話を聞いていたりしたので、
ものすごいハードルの高いミッションのように感じていたわけです。
変に却下されることもなく無事に完了し、ほっとしているところ。

フランスでの各種手続関係はいつもいつも複雑なことのように語られることが多いですが、
「大変そう」というのはイメージだけで、
一つ一つやれば基本的には難しいことはありません。
そして、終わってみれば、この免許も同様でした。
これから申請される皆様、ご安心を。

ただし、申請期限にだけは気を付けてくださいね。ホント。

申請可能期間を過ぎちゃったら、教習所に通って免許を取得する必要があります。
(これはこれで役に立ったし、むしろ良かったという意見もアリ)


普段あまり手続関係についてはブログに書かない私ですが、
普通のビザ申請とかに比べると少ない例になると思うので、
日ごろの皆様の情報提供への恩返しを兼ねて記録しておこうと思います。
ちなみに普段手続関係の記事を書かないのは、
情報が頻繁に変わるためと、どっちにしてもブログを読むより
役所に問い合わせてもらった方がスムーズで確実だと思うからです。

とはいえ、この情報もすぐに古くなると思うので、最終的には役所に問い合わせてくださいね。
それが一番シンプルです。

1.自分の滞在ステータスを確認

在仏日本大使館
・長期滞在者
・学生・ワーホリを除く
・フランス入国から一年以内
の人が、フランス免許への切り替えを申請できるとのこと。



2.担当役所へ申請方法を問い合わせる(12月)

所在地の担当役所へ問い合わせて、どうやって申請するか聞きます。
役所によって微妙に方法が異なるっぽいので、要注意です。

私の場合、最初はニースの県庁に問い合わせたものの、その後
実は管轄がニースじゃなくてグラースっていう所だと分かり、
改めてグラースの役所に問い合わせたらニースとは
申請方法も提出書類も違ったというオチ。
管轄の役所に直接出向いて詳しく話を聞くのがベストかと。



3.提出書類を準備→提出(12月~1月)

私が求められて提出したのは
(1)証明写真3葉
(2)身分証明書コピー
(3)住所を証明するもののコピー
(4)運転免許証(原本)
(5)運転免許証の翻訳
(6)運転免許の有効性を証明する書類
(7)申請書

これを持って役所に直接出向きます。

ちなみに、ニースで言われたのは
「運転免許のカラーコピー、滞在許可証のコピー、運転免許の有効性を証明する書類を郵送」
です。
ずいぶん違うよね・・・!
まあ、この後呼び出されて直接出向いて・・・とかになるのかもしれませんが。

免許翻訳は所在地管轄の大使館or領事館に依頼します。

(6)の有効性を証明する書類っていうのが「???」なのですが、
要するにその免許は失効も取り消しもされてませんよという一筆のようなもの。
パリの大使館では運転免許をベースに普通に作ってくれるようなのですが、
私が依頼したマルセイユの領事館では「運転記録証明書など」を提出すれば
作ってくれるという事で、「など」ってなんだ?と思いつつ、
運転記録証明書と運転免許経歴証明書を日本の母に取得してもらい、
それを領事館に送って作成してもらいました。



4.免許が書留で自宅に届く。(3月)



と、こんな感じの流れです。



最初から「1年以内の申請」と書きつつ、
いや私もう2年半こっちにいるし、という感じなのですが、
学生・ワーホリ身分では申請ができないので、
結婚後、家族身分での滞在許可証スタートからのカウントになりました。

オフィシャルな文書を読む限り、今書いたように理解できるのですが、
学生から家族滞在に身分変更して、その上で免許を申請したという例をみかけず、
実際の所はどうなのか?
学生での入国からカウントされちゃったらどうしよう?
不安のタネになっていたのです。

最初にグラースの役所に申請方法を聞きに行った際、
窓口のお姉さんが私の滞在期間・滞在身分をよくチェックしてくれて、

・フランス入国は2012年だけど当時は学生身分
・2014年8月から家族身分での滞在スタート
・だから2014年8月から1年間が書き換え申請が可能な期間

と確認してくれたので、ここで一安心。
せっせと書類を準備して申請に向かいました。

が!!!
受け付けてくれたまた別のお姉さん
「入国は2012年ですよね?入国から1年以内しか申請できないんですけど」と。
しかもその旨隣のおじさん担当者に確認して、改めて「もう1年過ぎてるから」と。

はぁ・・・。
こういうのを心配していたのよ・・・。
どうして人によっていう事が違うんでしょうね・・・。

とため息が出そうになるのをこらえ、
これまでの滞在歴を説明し、
学生身分では申請が出来ないはずなこと、
前回来た時にちゃんと申請可能だとチェックしてもらっている事を話して、
「ふーん」って感じでしたが受け取ってもらいました。

これって、自分でオフィシャルな情報で調べる限りOKなはずで、
前回チェックしてもらってたから
「いやいやそんなはずはない」と反抗できたけど、
情報が足りてなかったり、言葉の問題でいわれるがままにならざるを得ない状況だったら
ダメって言われて終わりだったってことよね。

と思うと、フランスの役所対応の危うさにはホントに肝を冷やされます。
健康保険に入った時もそうだったけど、フランスの役所、
担当する人によって笑っちゃうほどいう事が異なります。
実際どうやって運営してるんだろう??不思議というか、興味があるわ。



ともあれ手元に届いた運転免許。
有効期間は15年。2030年の更新です。
とはいえ10年来のゴールド免許所有・ペーパードライバーなことには何も変わりないので、
まずは教習所へ行って運転の仕方をよくよく習ってからその先の事を考えようと思っています。






2015年1月26日月曜日

シャーリーエブド襲撃事件2 フランス人の反応の背景

1月も下旬になり、
7日の襲撃事件、その週末の行進を経て、少しずつ冷静になりつつあるフランス。
各方面で、出来事を分析したり、現在の経過をレポートしたり、
今後どうしていくべきかの話し合いがたくさん行われています。

ところで。
前回の記事を書いたのがシャーリーエブドの新号発行直後だったため、
各メディア、各国の反応はあんまり分からず、の状態だったのですが、
私はあの絵を見て温かい、ぐっとくるものを感じたのでした。
だから、記事を書いたのだけど、
世の中の反応はそれだけではなかったようで、
ネガティブなリアクションには、けっこう本気で衝撃を受けました。

ついに私もフランスかぶれ・・・!!
・・・というわけではなく、こちらに来てからフランスの歴史とか
政治のスタイルを学び、聞かされ、
この人たちがどうしてこういうアクションを取っているのか、
どうしてこういう反応なのか、という裏側の部分が少し見えるからだと思います。


日本の反応で良く見かけたのは
「あんなのを描いたら挑発と取られてもしょうがない」
「表現の自由って言ったって、相手の気持ちを考えるべき」というもの。

これ、直感的には私の中にもあります。
基本的に「人の嫌がることをしない」という価値観が、
日本人の中に根付いているってことなんだろうなと思っています。
法律で禁止されてるからとか、宗教的にNGだからじゃなくて、
自分の倫理観でそう思えるのが、世界的には
日本人の思いやりのある面、優しさなのだろうな、と。

一方で、フランス人の価値観の中では、表現の自由が、
日本で感じる「人の嫌がることをしない」の感覚と同様、
根本レベルで染みついています。

この「人の嫌がることをしない」と「表現の自由」が重なり合う部分があるので
微妙に日本人の中に居心地の悪さを呼び起こすんでしょうね。

(とはいえ、これじゃあテロが起きてもしょうがない、とか、
そのせいでテロが起きて周りに迷惑をかけるんだからやめるべき
っていう話には、私は???ですが。)


ところで、フランスでは、デモクラシーというのが、宗教より上に来ています。
この人たちの言うデモクラシーは、ざっくりいえば自由とか平等、国民主権のことです。
で、それをどうやって手に入れたかというと、
王様とキリスト教を徹底的に倒して得たもの。
しかも結構大変で、血みどろで、犠牲になったものも多かった。


フランス自体は王政とキリスト教のタブーを徹底的に倒して、
その上に作り上げた国です。
この人たちは歴史の中で、宗教より普遍的な価値を選び、
神様からいったん離れることで、自由を得た。
フランス革命の話です。
イスラムだからどうこうではなくて、キリスト教だからでもなくて、
宗教的なものより、人間の持つ理性、自由を求める精神がモノを言う国。
宗教はプライベートの範囲で自由、という事になっています。


このフランス革命、一般的に記憶されているのは
ルイ16世&マリーアントワネットのギロチンで王政の廃止ですね。
そこへ至るまで、一般の人たちが苦しんできた時代があって、
哲学なり革命思想が発展するまで時間がかかっていて、
ギロチン後も、国をまとめるまで少なくとも10年かかっています。

その、国民が苦しんでいた時代。
旧体制の風刺画

世界史の資料集で見た気がするこちら。
苦しんでる一般人の上に貴族と聖職者がルンルンで乗っている絵。
この頃の一般人は、税金を取り立てられ、土地の所有は許されず、
政治を批判しようものなら牢獄に入れられる生活でした。
奴隷貿易が行われていた時代、それから革命直前は
食べるものにも困ることがでてきました。

一般人の生活難、一方でご存じマリーアントワネットの世界のように
貴族・教会関係者だけが贅沢している状態、
ちょうどそのころの思想の発展があいまって、フランス革命へ。

この革命でたおされたのは王政だけではなく、
伝統的に権力と資金力を独り占めしていた教会も同様。
革命後、聖職者たちは新しい共和国のルールに従うことを求められ、
教会の財産は国有化されて、聖職者は国からお金をもらう、
いわば公務員みたいな立場になりました。
(革命が落ち着いた後、この決まりは廃止されました)

旧体制を倒したは良いけど、これまで贅沢していた貴族とか聖職者の中には
革命反対な人がもちろんいたし、
革命派の中でも穏健派、中庸派、急進派と別れていたりも。

一方で、国の体制をひっくり返す出来事だったので
「みんなが良いように」とすんなり行かなかったのも事実で、
最終的には急進派のロベスピエールという人が先頭に立って
反対派・穏健派の人たちを粛清し、
力づくで革命を成し遂げた経緯があります。

粛清で、どのくらい処刑しまくったかというと、このくらい。


そびえたつすごい数のギロチン台。
断頭台を操作しているのがロベスピエール自身です。
で、乗っている人は、死刑執行人。
散々みんな処刑してしまったので、
あとは執行人くらいしか処刑する人がいない・・・の図。

今振り返ると、この粛清は「まぁ、褒められたことではない」
という感覚がフランス人の中にもあるらしいのですが、
一方で、「でもこうでもしなければ確かに革命は達成できなかった」というのも
共通して認識されている事。

革命までに大勢の市民が投獄されたり犠牲になっていて、
結局王様を処刑することになり(市民は最初はこれは求めてなかったらしい)、
その後も各ごたごた、ロベスピエールの粛清があり、と、
多大な犠牲をはらってやっとの思いで手に入れた人権、デモクラシー。
あれほど大変だったからこそ、それを今手放すという選択肢は
フランス人にはないわけです。
彼らにとってそれは200年前に後戻りするのと同じだから。


と、日本人が想像するより必死で、フランス人が
「表現の自由」を守ろうとする理由がこの辺りに垣間見えます。

先日のパリでの追悼&抗議行進を見て、
私はフランス革命を想いました。
革命で手に入れた自由が再び脅かされた時、
この国の人たちが革命の頃と同じように集ったのかなと。


あともう一つ。
2つしか載せませんでしたが、
革命前、弾圧されている市民の不満を表すのに、
たくさんの風刺画が描かれています。
絵だけではなく、文学だったりとかもあるのですが、
とにかく、フランスではこの時代から、社会の問題を暴くために
「風刺」という手段が取られています。
最初の絵では、時の権力者である貴族と教会、
二番目は、革命家・・・だけどちょっと行き過ぎてるロベスピエール。
特にこの二番目のは殺しすぎちゃって死刑執行人を殺そうとしているという、
学の無い一般市民にも状況がわかり、
しかも微妙にクスッとくる、風刺画の分かりやすい例ですね。
こう見ると、風刺、皮肉はフランス人根っからなのが見て取れます。

というわけで、フランス革命から200年以上たっている現在でも
彼らはこの手段を使い続けており、
今回攻撃されたシャーリーエブドに限らず、
たいていの新聞、雑誌ではこの手の絵をふんだんに使っています。
日本の新聞でもあるけれど、フランスと比べると
この風刺画(カリカチュールといいます)の重要度は低い様な。


この国のデモクラシーの重要性と、
カリカチュールが昔から根付いていることを踏まえると、
シャーリーエブドのカラーと、攻撃を受けた後のフランス人の行動が
少しわかりやすくなるかな?と思って、長くなりましたが書きました。



というわけで、せっかくなのでこれまで
シャーリーエブドがこれまでに発行してきた一面の絵をちょっと紹介。



前回の記事にも載せたこちら。
2012年11月2064号
2012年は、フランスで同性婚を認める法律について議論がされていた年です。
最終的にこの法律は可決されて、同性での結婚ができ、
子どもを養子に迎えることが出来るようになりました。

当時、キリスト教関係からの強い反対があり、あちこちで反対のデモが行われました。
キリスト教的には、結婚とは家族を築く=子どもを作るための制度。
子どもを作るのが不可能な同性愛者の結婚は認められない。
「家庭内に父親二人・母親二人は要らない!」というのが彼らの主張です。

そこへきて「Mgr vingt-trois a trois papas」
・・・「23世閣下にはパパが3人」。
23世とはこの時のパリの枢機卿のこと。
フランスでのキリスト教の指導者みたいなものです。

聖なる父とキリスト、精霊の三位一体説を使って
キリスト教の中世的な価値観を批判しています。





こちらの人物はオランド大統領
2014年8月1157号
「Zero Croissance」は「ゼロ成長」です。

ライフセーバーのいでたちでビーチから海を見下ろしていますが、
その海には溺れかかっている(既におぼれている)たくさんの人たち。
彼は「On ne bouge pas!」とのことで「何にもしないよ!」と。

フランスの景気もあまりよくなく、国民生活は厳しくなる一方ですが、
有効な政策を取っているとは思えない
オランド政権の批判です。



続いて、マリー・ルペンという女性政治家

2014年5月1145号
マリー・ルペンとは、最近幅を利かせているらしい、
フランスの極右政党FN(国民戦線)の党首です。
最近景気の悪化、移民問題の浮上で、
フランスは全体的に右傾化しています。
この政党は、ヨーロッパ系&キリスト教系のフランス人の恐怖心をあおって
支持を拡大しているにはいるんですが、過ぎたるは及ばざるがごとしで、
冷静に考ると彼女の政策は多分イマイチです。
人種差別、外国人排斥に繋がる思想が根底にあるので、
この政党の支持率アップに危機感を感じているフランス人も多いのが事実。

「Que veulent 25% des francais?」「25%のフランス人の求めるものは?」
とタイトルが打たれています。
この25%ってのは、彼女が主張するフランス人のこの政党の支持率。
でもちゃんと数えるとFNの支持者は10%弱になるはずだそうで。
勝手に「フランス人の4分の1に支持されてます!」と言い張っていて
時々叩かれています。

で、「25%(=FN支持者)の求めるものは?」の答えとしてシャーリーエブドが描いたのは
「あいつらを火刑台に送るジャンヌダルク」。
火あぶりの刑にされている人(=あいつら)には「外国人」の札が。

白人至上主義でそれ以外の者は追い出せというこの党の姿勢を
フランスのために戦ったジャンヌダルクと皮肉に重ねて批判しています。



続いて、これまたせっかくなので、イスラム関係のも少し。
今回の襲撃事件で殺害された漫画家「カビュ」は生前、
イスラム教を批判してるのではなく、過激派が増えてきて
何でもアリになっている様子を批判している。と話していました。
また、違う立場だからと言って
何でもかんでも批判するといった姿勢だったわけではないようで、
「宗教は一つのイデオロギーとみなしている。
イデオロギーであれば、どんなものでも当然批判の対象になりうる」とも。


こちらは、カビュが上のインタビューを受けながら例に出していた絵
2006年

ムハンマドが泣きながら
「バカに好かれる(支持される)のは辛い・・・」と言っています。

この絵はフランスでも当時反発を食らったそうですが、
カビュは「ちゃんと読んでください。」と、
右上に黒で書かれたフレーズを指して言っています。
「原理主義者にほとほと困っているムハンマド」。
バカって書いてあるけど、当然、イスラム教徒の事を指しているのではなく、
異教徒のみならずイスラム教徒でさえ意にそぐわなければ殺しまくっている
最近の過激派のことを指しているのです。

こんなんじゃ、ムハンマドだって、きっと困ってるよ・・・?という
過激派への問いかけに読み取れます。




「もしムハンマドが復活(再臨)したら・・・」



「俺は預言者だ、愚か者!」と白い服をきたムハンマドらしき人が言っていて
「黙れ不信者め!!」と叫ぶ人に首を切られそうになっています。

ムハンマドが説いてきたイスラム教と
過激派の主張が全然相容れない様子を描いています。




「海外で成功を収めるフランス人シェフ」
2014年11月1170号


フランス人シェフといえば、料理の世界では国内外問わず
名を上げている人が多いわけですが、
それは人質の首をはねる場面でも発揮されている模様・・・。

2014年末、イスラム国でフランス人が人質に取られたのち
殺害された事件がありましたが、
殺害を実行したのはフランス人であることが分かり、
イスラム国に参加するフランス人が増えつつあることに
スポットが充てられていた頃です。




と、こうしてみるとシャーリーエブドの一面の絵も、
これまでとちょっと違く見えてきませんか?


2015年1月15日木曜日

シャーリー・エブド襲撃事件について1 新号の発行

2015年もあけたばかりの1月7日(水)、
夫のステファンから携帯にメール。
「パリでテロがあったって、TV見てみて。」と。


何が起こったの?背景は?フランスの反応は?政治家の反応は?と
残念なことではあるけれど、こんな事件が起こった国にたまたま住んでいるのだから
まとめて何か書かなくてはと思っていたのですが、
「ちゃんと理解できてから・・・」と思ううちに、
ちゃんと理解はできないまま一週間たってしまいました。
書く内容をちょっと想像しただけでかなりの量になったので、
とりあえず「1」と番号を付けて書いてみます。

起こったのは「シャーリーエブド(Charlie Hebdo)」という
風刺画、風刺記事がウリの、週イチ発行紙の新聞社での襲撃事件。
犯人2人は翌日、パリ近郊の企業に立てこもった所で殺害されていったん終了。
関連して、交通事故を処理中の警察官への襲撃と
ユダヤ系食品店の人質立てこもり事件が起こりました。
一連の事件で、新聞社のジャーナリスト・挿絵家、警察官、人質になった一般人と
合わせて17名の犠牲者が出ています。

性質は違うし、比べることはできないものだけど、あえて言うと、
日本の人には、2011年の大地震の時の記憶をたどってもらうと、
今のフランスに一番近い雰囲気が伝わるかもしれません。

ニュースチャンネルでは一日中現場からの中継をしており、
他のチャンネルは番組タイトルやチャンネル名に黒いリボンをかけています。
数日たって事件を俯瞰できるようになってからは
政治家や各専門家、文化人などを呼んでの討論や検証が
放送されるようになってきました。

事件から1週間の間、フランスは、テロを受けたこととか
イスラム過激派の攻撃だったことはいったんさておき、
この国の根幹である「自由」を侵害されたことに
とにかくショックを受けていた印象。

事件のあった日のその夜から、パリの大きな広場には
犠牲者の追悼をするとともに、
「表現の自由」を守ろうと多くの人が集まりました。
続いて、この週末は各地で同じ趣旨の行進がオフィシャルに行われています。

ここへきて本音を述べると、
私はやっぱりあくまでフランスにいる外国人なんだなと感じています。

新聞社の攻撃を知って、「表現の自由が侵される!」と思うよりまず
「これから数日何があるか分からないから人が多いところは避けよう」でしたし、
自分自身や自分の価値観が攻撃されたという感覚はありません。
風刺がウリのCharlie Hebdoの過去の挿絵を見てみても、
「これは・・・・さすがにマズイんじゃΣ(゚◇゚;) 」ってのも数多く。
彼らの言う「ユーモア」が共有しきれていないのを感じている所。

実際、このシャーリーエブドの通常の発行数は6万部だったそう。
だから、フランス人全体がこの新聞を日ごろから大事にしていたというわけじゃないものの、
「こうやって自由に批判しまくってる新聞社が存在する」
ということに、自由な社会の象徴を見出していた人が多かったという事でしょう。



長くなりましたが、今日やっと記事にしようかなと思ったのは、
毎週水曜発行のシャーリーエブドが、
テロ後初めての水曜の今日、これまでと変わらずに新聞を発行し、
その表紙の絵に個人的にとても感銘を受けたから。

ちなみに、テロ攻撃を受けたのは、
いつもの表紙の絵が不要に挑発的だからとされています。

例えば、こんなのとか


2012年発行の1064号

げ・・・下品・・・そして冒涜と言われても仕方ないのでは?と個人的には思える・・・。
こちらはキリスト教の三位一体説を引用した風刺画です。
当時のヨーロッパの時事ネタ的にまぁ面白いのでまた機会があったら
この絵についても書きたいと思いますが、
要するに、一事が万事、この調子だったわけです。
(とはいえ、全部がこういうのだったわけじゃなく、この絵は結構ひどい方だと思う)

それで、各宗教界から警告を受けていたようですが、
本人たちは意に介さず継続。
2011年にはムハンマドを引用した風刺画が原因で
オフィスが放火されています。

・・・という社風なので、テロを受けた今回、
どんな絵を出してくるのか?
フランスの人たちは気になりながらこの水曜日を迎えました。

良くテレビなどでも使われるように
こんなのとか?




それか、こんなのとか?



こちらは最近のLiberation(リベラシオンという新聞)から。
銃を突きつけられて口をテープで留められても、
「表現の自由」を書いた鉛筆を高く上げています。




こちらもLiberationから。
お母さんが子どもに
「絵をかくのはやめなさい!!危ないから!!」と言っています。





そして挿絵が明らかにされたのは火曜日の午後。
こちらです。



ムハンマドが、今回の件に関するデモで人々が持っていたように
「Je suis Charlie=私はシャーリー」のプラカードを持って、
涙を流しています。

Je suis Charlieは「自分もシャーリーと同様表現の自由をもつ一市民である」
というニュアンスを表現しつつ、
シャーリーエブドへの共感を表現するために今良く使われているフレーズです。

ムハンマドの涙が、今回の件を悲しんで、
宗教は本来争いじゃないと伝えているように見えると同時に、
彼に「Je suis Charlie」のカードを持たせるなど、
フランスのメディアとして、これからも継続するというメッセージも垣間見えます。

上に書かれている「Tout est pardonné」は
「全ては赦される」という意味のフランス語。
テロの直後の発行にて、シャーリーエブドはテロへの回答として
「許す!!」と出したわけです。

今回の件で私が感じ、この表紙を見て改めて思ったのは
「負の連鎖は止められる」ということ。
テロを受けたフランス人の反応は、暴動や移民への差別激化ではなく、
フランスの価値観の再確認を求めたデモ。しかもとても静かに行われました。
そして攻撃された新聞社の新しい表紙は「全ては赦される」。

中東とかアフリカで(目に見えないだけで世界中どこでも)争いが絶えず、
原因を探ってみるともう昔から続く恨みの連鎖だったりして
どこから手を付けていいのか見当もつかないことがたくさん起こっていますが、
今回のフランスでの出来事は、報復で解決するのではなく、
これまでの権利や価値観を持ち直すことで、
社会を作り直す、一つのモデルを示しているのではないかなと想えます。


昨日の夜、BFMというニュース番組にZineb Rhazouiという
シャーリーエブドのジャーナリストが招かれていました。
彼女は銃撃を受けた編集者会議には出席していなかったものの、
この新聞社で働いていて今回の新刊発行にももちろん参加しています。

いわく、
「今回テロを受けて、同僚が多く死亡し、
自分の気持ちの整理もつかないままだけど、
2人の殺人者(犯人)のことはどうでも良いんです。
憎んでないし、コーヒーでも飲みながら話し合えたらと思ってます。
受け入れる(赦す、許す)必要があるんです」と。

それから
「もしテロ事件が起こらなかったらまたオランド大統領か、
別のどこかの宗教の批判を掲載して発行したでしょうが、
今回はやっぱりこの件に触れました。
300万部発行予定。つまり300万の家庭がこの絵を持ち帰るのです。
テロリストが勝利を得ることは絶対ありません」と。

ちなみに彼女自身はイスラム系の出身。
16年間イスラム系の学校に通った後、モロッコ(イスラムの国)で勉強を続けて
政教分離のあり方を突き詰めていくうちにシャーリーエブドで働くようになったそう。


この絵を描いたのはリュズ(Luz)というシャーリーエブドの漫画家。
彼のインタビューによると最初からムハンマドを描こうとしたわけではなかったそう。
水曜の銃撃戦の現場を書いてみたり、
ジハーディスト(聖戦主義者)を書いてみたり。
描くのは無理なんじゃないかと思えた時間もあったとか。

「最後に、おなじみの登場人物を書いてみた。
“Je suis Charlie”の札を持たせてみた。
これが最後の精一杯のひと絞りだった。
そうしたら、ちょっと笑えてきた。
こうやって、スタートできたのです。」
と。


イスラム教批判で攻撃を受けているとされるシャーリーエブドですが、
今回亡くなった漫画家カビュの生前インタビューを聞いてみると、
批判しているのは「イスラム教」ではないとのこと。
昨今に見られる過激派、ジハーディスト、
イスラム教の中で何でもアリになりつつある実態を批判していると。

加えて、今回犯人がイスラム側だったから、そこに焦点が当たっていますが、
シャーリーエブド自体はキリスト教、ユダヤ教、時の政治家、俳優、
時には外国の大統領までデッサンの対象になっていて、(そして日本も)
賛成、反対はもちろんあるものの、
反対だからと言って殺人が起こったことは当然ですがこれまで一度もなく、
今後も起こってはならないのは明白。

彼らがこれまで何をどう批判してきたのか?その反応は?
フランス人が立ち上がった背景やこの国の歴史は?
今の移民のシチュエーションは?
と色々一緒に伝えないと「テロ!!」だけになってしまい
起こっている事のニュアンスが伝わりにくい気がするので、
また別の機会に書いてみたいと思います。

さっき載せたLiberationの風刺画のように
絵を描いたり、新聞を発行するのに身の危険を感じるような時代が来ませんように。